富士宮市の道祖神
“たや”とカタカナで書く地名はいったいどんな由来なのかと探ってみたくなります リッパな道路が出来る前はココが主要道の辻だったのでしょうね、現在も少しニギヤカな場所に鎮座していますが、表面の一部が欠落し始めていて保護保存が急がれる道祖神さまです…
上部が割れて修復した痕のある道祖神さまと三つの自然石道祖神さまたちが並んでいます 双体道祖神さまが黒っぽいのは“どんど焼”の炎の中に道祖神さまを投げ込む習慣が昔から続いていた名残でしょうか 随分荒っぽいイベントのようですがキチンとした理由があ…
何度行っても見つからず三度目のトライでやっと見つけた道祖神さまです 元々の地図データが違っていたとうこともありますが、なんといっても駐車場のフェンスを切り欠いて設置された祠の中にあるとは想定外でした それでもどちら様かがきちんとお世話をして…
個人住宅の敷地内一角に並んでいます 庚申塚は天保二年の銘、そしてちょっとコワモテの仁王様風のほうは造立年の判読ができません 村の入り口で不審者を監視する役だった道祖神さまも、今は塀の中でちょっと不満そうですね→ MAP
よく行く本屋さんの前の歩道にこの道祖神さまはいたのですが、こんなコトを始めるまでは全く気付きませんでした… お恥ずかしい限りです 初期のプリミティブで小さな道祖神さま(たぶん合掌像)と並んで、大きなほうは自然石刳抜の祝言像(酒器を持っている)…
自然石刳抜の持物像ということから文化または文政期の造立と考えられますが、個人宅の一角にあるのでウラ側から見るなど確認のしにくい道祖神さまです 荒々しい外側の造りに対し双体像は繊細で高貴な印象、そしてハッとするほど大きさもリッパ(三尺ほどの高…
未完成だったのではと思うくらい背後の彫りや像の深さに特徴がある双体の道祖神さまです。 物を持つお二人の間に渡っているモノが彫りなのかキズなのか、それも興味深いところです。もっと素朴だったころから後期の完成された形への過渡期の作品かもしれませ…
一般民家の石塀に掘り込むようなカタチで祀られている道祖神さまです。 石の角柱があることかたらココもなにか神様を祭った建造物でもあった場所なのでしょうか、すぐ前には和田の公会堂があることから古来は村人たちが祭祀に使用する公共のスペースであった…
あら、こんなところに題目碑が…と気付きよく見ると、下部の刻には大正12年とか地震・人骨といった文字を判読出来ました。それは確か関東大震災の発生した年ではありませんか。 調べてみると一般的には首都の被害ばかりがクローズアップされていますが、実際…
富士宮市内の工業団地の中にある八幡宮入口に鎮座している道祖神さまです 工業団地の用地計画でもサスガに神社は動かせなかったようで、周囲の道路や地形とは少し違う特異なカタチでこの八幡宮が存在しています すっかり風化してしまい銘はおろか表情や形式…
自然石刳抜の持物像です のどかな田園風景の続く畑地の一角でもあり、東西南北に走る旧道の道標としての役割も隣に置かれた題目塔と共に担ってきたのでしょうか 後方の樹木の左、わずかに見えるのが富士山 江戸時代・寛政のころからここで見守ってくれていた…
奥に見える石の角柱により、かつてココに神社あるいはそれと同様なものがあったと推測できるのですが、現在はその石柱以外には痕跡すらありません 残された題目塔と馬頭観音像は主がいなくなってもこうして祈り守り続けていてくれる、そんな温かみのある場所…
道祖神さまはこのように行き届いた環境にあるものもあって 同じ文化財でありながら個人の手に委ねられている状況にはクビを傾げたくなるのであります まぁソレにしても欠けてしまった道祖神さまはお気の毒ですね → MAP
ネギ畑や青菜畑が多く稲の田が少ないこのエリアは富士宮浅間大社を出発して富士山に向かう二本のルートのうち西側のものが貫いています 題目碑-道祖神-申子塚と三点セットは珍しくはありませんが、日蓮宗のお題目が独特の書体で彫られた石碑やハンコに使われ…
風雨による浸食に加え欠け落ちた部分も多く、すっかり小さくなってしまっている道祖神さま 予めデータでこの近辺に在ると判っていたので見つけられましたが、ふつうなら気がつかないかも知れません なんとかしてあげたいんですけどね…→ MAP 今朝の富士山 昨…
畑地の広がる郊外を走る道、クネクネ曲っているのは旧く歴史のある証拠で、ソレとクロスする道も同様に真っ直ぐではありません その交差点の一角にこうして鎮座している道祖神さまですが、かすかに残っている銘からは造立年号を読み取るのは難しいようです …
すっかり浸食が進行している上に周囲の整備もなおざりにされている印象です それでもどちら様かがそのままではコケてしまう道祖神さまの足元に石をあてがい、なんとか倒壊を防ぐ努力がなされてはいるようですが、やはりキチンとした保護が必要でしょう いい…
現在の地図を見ても「庭床」という地名は見当たりません かつてそう呼ばれていた小さなエリアなのでしょうが、こうしてドラッグストアなどの商業施設が次々に建設され道路も変更拡幅などされていった過程で、よく無くなってしまわなかったなぁと思いました …
明治初年、万野原に入植した士族 その屋敷が並ぶ通りであったといいます 厳しい自然に対峙する開墾作業、やはり五穀豊穣と生活の安定を願ったものだったのでしょうか 自然石を祀った道祖神さまがそうした素朴な祈りのあった時代を今に伝えているようです → M…
サイドに造立年月の銘が刻んであり昭和二十一年三月となっていました 終戦から半年、まだ日本中が落ちつかない日々を送っていた時期です 何を願いどんな気持ちでこの道祖神さまをここに置いたのでしょう 当時の正確な資料を収集整理するなら今のうちだと思う…
前歯の矯正治療期間中といった感じでしょうか なんとも窮屈で見た目のよくない周囲の状況です 工事が終了したらどんな様子になるのでしょう ちょっと楽しみでもあります → MAP
お寺の外壁、限られた面積の一角にあるため、その他の石碑と共に配置するのに苦心したあとがうかがえます 馬頭観音像、青面金剛…窮屈そうでちょっとお気の毒ですが、ココならキチンと守り祀ってもらえる…という安心感もありますね → MAP う〜様 今度は腹バラ…
手前下にいくつか並んでいるのが自然石の道祖神さまや馬頭観音像などですみな頭に丸い石を乗せられてお地蔵さまのような姿にさせられてしまっていますし赤い前垂れまでつけられて、なんだかちょっと違っているのでは…と思わずにいられません しかしこれもひ…
昭和に入ってから造立されたものですが なんともサラリとした筆の運びで彫られた銘が面白く あまり構えた感じのない道祖神さまは珍しいと思いました → MAP
山宮区民館の入り口にあります 微かに残っている銘からは造立時期などの情報も読み取れませんが、字体などから判断すると比較的近世の道祖神さまのように思えます ここも山宮浅間神社・富士登山旧道に続く路になっています → MAP ムー吉殿 こんにばんわ! 日…
周辺道路の整備によって、この道祖神さまのいる路は地元の人間しか通らないコースになってしまいました 新しく出来たリッパな道路とこれまで利用されてきた旧道の合流地点に移動した方が本来の目的に適ったものだとは思うのですが… 朽ち果て忘れられてしまう…
持物像と呼ばれる自然石浮彫の双体道祖神さま 手にしているのは器や御札などです この辺りは畑地も多いので五穀豊穣を祈ったものなのでしょう ちょっとコワいお顔ですが、じっと見ていると優しさが滲み出てきます → MAP がんたさん おはようございます! と…
薬師寺という名に期待して行ってみれば現在は全く違う建物があり少々ガッカリしてしまった。まぁ正確に言うと「薬師寺跡」なのだな。 山宮薬師寺はその建立年代なども含めナゾの多いもので、明治七年には五松舎(万野原新田の小学校)の分校がこの薬師堂に開…
明治末期に造立された道祖神さま 3ピースに見せかけるようなバーチカルラインと文字の彫り方にも特徴があり、とってもモダンなデザインの道祖神さまですね → Photo 粗末な鳥居と小さな祠のある神社のすぐそばにあり、なにがしかの因果関係がありそうです ち…
富士宮名産の落花生畑の縁にあります 農家のおねーさまが「この前で記念撮影してゆく人もいるのよ」と教えてくれました 隣に並ぶ双体道祖神さまは上部が欠落してしまっていますが 欠けてからかなりの年月を経ているらしくコケむしていますね → MAP ムー吉殿 …