富士宮市の道祖神
データに記載されていない道祖神さま 偶然発見したものの周囲はゴミ置き場同然でとても写真でお見せできるものではありませんし、ソレより今後が心配です 五穀豊穣・子孫繁栄を願って造立される道祖神さまもあって、コレはその後者 ソレにしてもユーモラスな…
何度もカギの手に曲がる道を経て辿りつくのは小さな八幡宮。 その手前T字路で巡礼者を優しく迎えるように建っている道祖神さまです。 隣には小さな自然石の道祖神さまも並んでいて、この先にある山宮浅間神社への要所であったことがうかがえますが、その証…
いくら探しても見つからない。う〜ん困った…なのであった。 (もしかして)と思い何度もその前を通り過ぎた林の中に入ってみる。 やはりそう!コレだったのである。 ちょっと見はタダの岩石、国道脇の杉林・雑草の中にポツリと鎮座していて本当に道祖神さま…
柔らかな木漏れ陽の中に鎮座する双体の道祖神さま 万延元年の刻があり二者ともに祈り合掌する自然石浮彫です とても#055と同じ径に在るものとは思えないくらい状態は良くて やはり林間に在るので風雨に浸食されにくいのでしょう → MAP う〜様 おはよーござい…
立派な鳥居に比べ、なんとも痛ましい姿の石像です ドチラも頭部顔面喪失、しかも気の抜けるような修復がなされていいて コレならそのままの方が未だマシか、と思えてきますね 造立時の資料などないのでしょうか… → MAP
この二つの馬頭観音像の他に巨大な題目塔・丸く小さな自然石・銘も消えてしまった石碑からなる5つの個体が一列に配置されている 撮影の為に雑草などを少し刈り取ったが、どうにもキチンと管理されているとは思えず残念である 場所も個人の所有地のようで、…
山の神さまとしての石碑 馬頭観音や石祠はよく見かけるがこのスタイルは少ない 年号銘が刻まれていないのはどうしてなのだろう… 周囲に田畑が拡がる中にポツリと鎮座している → MAP
元々はフツーに地面に置かれていたのでしょうが なんだか窮屈そうで少し可哀そうですね こうした姿の道祖神さんも多くみかけて、ちょっと悲しくなりますが まぁコレはまだマシなほうです しかしお顔がすっかり浸食されてしまっていて 昔の資料写真と比べると…
寛政六年の刻銘があり、過去に朱の漆が施されていた様子 とてもいいお顔である →Photo 道を挟んで反対側にも馬頭観音像が置かれ、まるで門のような体を成している → MAP かぶちゃん 生ハム&オニスラ♪ めっちゃ美味かったよ〜ヾ(@⌒¬⌒@)ノ おはようございます…
ここもデータベースにない場所 紅い漆塗りの祠、石祠、自然石道祖神、道標の4つが並ぶ氏神さまスポットだ 道標には“神〇道四十一…”と刻銘されているが二文字目がどうしても読めない 本当はもっと長い石だった可能性もあって下部にそのヒミツが隠されている…
後に知ったことだがけっこう有名な双体道祖神さまらしい 幕末の万延年間に造立され分類としては「自然石浮彫・持物像」ということになる(→Photo)保存状態がいいのも文化財としてのシンボルになりやすいのだろう 近くに保育園や小学校があり、この前を毎日コ…
畑地の農道にポツリとある小さな甲子塚 なんでこんな処に…と思ったが、この先には八幡宮・山神社・浅間神社・薬師寺など氏神仏さまのポイントが目白押し そうか昔は重要な道だったのかも知れない、ナルホド〜なのである → MAP
コレもデータブックに載っていない道祖神さま どなた様かがきちんと祀ってありますね、有難いことです コチラもほぼ毎日のように通る交差点の一角にあって見つけた時にはアセりました 現在の富士登山道路の道筋にひっそりと… → MAP う〜様 そう、必ずもうひ…
市のデータブックにも掲載されていない道祖神さま、ちょっと可哀そう… 場所もメにつきにくいところでもってチラッと見はただの石柱のようにも見える そしてあまりにシブい達筆銘刻なので気付いてもらえないのかも知れない 通りがかりで偶然発見できたのは安…
時田八幡宮の近くにある甲子塚 富士見小学校もスグそばにあってコドモたちの通学路だ 甲子信仰だけでなく辻神様として往来の人々を見守る姿は道祖神と同様である 民家の敷地の一角だが、この塚のためにわざわざ石塀の角地を空けてある → MAP
言われなければソレと気付くこともないだろう データをもとに探し歩いたがどうしても見つからず、近くで農作業をしていた方に訊くとコレだと教えてくれた う〜む、なるほど… しめ縄やその他の祀りは施されてはいないが、後日行ってみると周囲の雑草などがき…
出水と書いて「いずりみず」と読む変わった地名 湧水でもあるのかしら…と探してはみたものの見つからなかった 先日、野生のサルが徘徊していたことを市の広報アナウンスで聞いた辺りでもある 双体道祖神、庚申塔、馬頭観音像、自然石文字碑の4基からなる道…
どの石像の銘もかなり薄くなってしまっているが、かろうじて一つからは明和三年の刻が読み取れる 村山浅間神社に続く古い道沿い、隣接する紙加工所の駐車場の一角にあり周囲もよく清掃されてはいるものの、回収ゴミの集積場が横に…というのがなんとも寂しい…
叔母ケ懐(おばがふところ)とは面白い地名だ 珍しいなと思い調べてみると全国各地に似たような地名が意外に多くあった 民家の石垣に鎮座するこの二体の道祖神には“天保”・“安政”とようやく判読できそうな銘が刻まれていて江戸時代末期からのものであること…
何度往復してもその付近には見つからない それもそのハズだ、ハンドボールほどの小さな石が道祖神だとは思わなかったからである だがこうして周囲を石で囲み、キチンと雑草も刈ってあり 誰かが大切にお手入れをしていることが判る やはり素朴な信仰の対象な…
中央の馬頭観音像につい目を奪われがちだが、ポイントは右端にある石祠(せきし)の中に入っている自然石の道祖神だ 何も入っていない石祠が多い中、パワーストーンのような存在の道祖神が大切に祀られているところが面白い ステージの一番右には道標と思し…
元々はここではなく道の真ん中に在った… と、この家の方が説明してくれた 区画整理と路の拡幅の際に移動したと云う石碑 天明や寛保の銘が刻まれているが、もしかしたら墓碑かもしれない しかしその後は道標としてここで大切に守られている → MAP 今年は毒キ…
あまりにも渋い姿に今まで気付くこともなかった道祖神 いつものスーパーに行く道すがらにあり、何度も通っていたのに申し訳ない気持ちだ 以来、一礼してその御前を通過するようにしている そしてこの通りが何本かある富士登山道のひとつであったことをこの道…
両脇にある石の角柱が以前にこの場所が社であった可能性を感じさせる 近くには山宮浅間神社や八幡宮をはじめとした社寺なども多く、こうした信仰シンボルが密集しているエリアでもある→ MAP 今朝の富士山 天使の羽根だけでなくリングまで… 5:34AM, October 1…
風雨の浸食などによって刻銘が不明確になってしまっている道祖神が多い中、この双体道祖神には元禄二年(1689年)の銘を読み取ることが出来る。現在確認できるものとしては市内で最古の造立だ。 (横に立つ文字碑道祖神は明治末期に加えられたもの) ◆ ◇ ◆ ◇…
飾り気のないスクウェアな石柱なので遠目にはただの墓石のように見える しかしよく見れば“甲子”の文字、サイドには“天保四年”の銘があり、しかもなぜか礎石には製作者名や寄進した者の名なども彫られていて甲子信仰の懐は深い このポイントから先には石川八…
富士宮浅間大社から真っ直ぐに登ってきた位置にある 富士山を背にして坂から見おろすと下には街並み そして遠くに駿河湾も望める 旅人たちもココで一服したのだろうか 名水も湧き出る場所なので隣には評判の蕎麦屋・古庵が… → MAP 日陰だからなのかな こんな…
左:元禄六年・上井出町の銘 旅の安全を祈願する文字碑 中:火災水害の厄除けとしての上棟大元尊神観音 右:左方向が「白糸乃瀧」と示す道標 “宮内省消防組頭 神田錦町 石川三之助”の銘→ MAP う〜様 おはようございます! 葉つきの大根はスーパーでは皆無、…
1192年に征夷大将軍に任命され鎌倉幕府を開いた源頼朝はその翌年、この富士山麓の丘陵地帯(現在の朝霧高原)で「富士の巻狩り」を大規模に行った。 眺めの良い丘から周辺を見渡しては晴れ晴れと満足な心境であったと思うが、その際に馬を立たせたまま眺めて…
直径が1m近い丸く巨大な岩石の甲子塚と石祠(せきし) 田や畑の神様と旅人の厄払いや道案内まで兼ね備えた素朴な祀りが仲よく並ぶ姿はほのぼのとした温もりがある 石祠=石で作られた小さな祠(ほこら)は市内のかなりの場所で目にするが銘などが施されてい…