(104)大阪梅田・ピッコロ『ビーフカリー』


 食い倒れの街大阪で三十余年カレー専門店として営業している実力派であり、昨日今日に町興しのための思いつきで始めたモノとは一線を画する味なのだ。
店舗は七つほどあるようだが、テイクアウトいわゆるレトルトパック販売と店内飲食を併用しているスタイルは加工食品メーカーらしい展開で、なかなかに興味深いものがある。
 しっかりと煮込まれたルウはスパイシーであるが深い味わいで、最上等の欧風カレーとしてヘタなホテル物を凌ぐ素晴らしさがある。大ぶりにカットされたビーフはモモ肉のためか若干カサつきを感じさせるものの、美味しいルウにほぐすようにして食すと満足な食感がよみがえってくる。
棟方志巧の作品を思わせるような骨太の版画風イラストが印象テキなパッケージがボクはとても気に入ったし、独自のステイタスを大切にしているんだなぁ…というのがよく解る気がする。


ピッコロ(ミツヤ食品工業株式会社)
http://www.piccolo.ne.jp/







夕方の富士山

2009.01.17. 16:46 @Mannohara,Fujinomiya-City









う〜様
こんにちわ〜っ!
写真撮るトキに並べるのを忘れちゃったのが“納豆”ですね〜っ、コレがジツに美味い♪ そうか〜ソーセージやハンバーグってテもあったんだあ(^з^)-☆
ホントに月日が流れてゆくのは早いものですね…コドモだった人が出産か、きっと子供ながらに憶えているものが語り継がれてゆくのでしょう。今の神戸には当時の面影が残っていないので、エポックとしてのこの日が大切なものになるのですね…



かぶちゃん
こんにちわ〜っ!
センター試験はお天気には恵まれたみたいでよかったよね、忙しいでしょ?
ねえ神戸の友人がいなかったら今頃は「他人事」になってしまっていたかも知れません。そういう目で現在の神戸の街の様子を見られる…ってコトは大切なんじゃないかな。
特別な支度をしなくても“手巻き寿司”って楽しめるんだね〜、ソレを知っただけでも今回の夕食は意義があった感じかな(^_^)v 美味しかったよ〜ん♪
カレーのゴハンCO-OPの「十五穀米」ね〜、カレーにはよく合うので時々炊いてますっ!



ハピ吉さん
こんにちわ〜っ!
あのニュース映像は時間が経つにつれてだんだん怖いものになっていったよね。ボクは朝の揺れで気がついてスグにテレビのスイッチを点けたんだけど、数時間は情報も少なくてあんなに大きな地震だとは最初思わなかったな。
酢飯ねぇ…お嬢ちゃまが喰い尽くしましたー(;´Д`)ノ



がんたさん
こんにちわ〜っ!
やはり被災された方々は特別な想いがありますよね、心中お察し申し上げます…。復興したとはいえ所々に置かれているコンテナがその足跡みたいにも感じますよ。
そうですねー、言われてみれば“手巻き寿司”って夏っぽいカンジかにゃ〜(笑)
頻繁にやるなら卓袱料理に使うような円形のネタ皿(小分けしてあるヤツ)なんかあるとカッコいいんですけどね〜(*^_^*)



まこたくさん
こんばんわ〜っ!
良く寝られる…ってーのはシアワセな証拠でやんして(笑)マクラを高くしてね〜
でも静岡県は「来る来る」って言われながら何年経ちました? やっぱり“ノド元過ぎれば…”テキな教訓もありますから、備えは常に心がけるべきでしょうな(自戒も込めております、はい)ノ(´д`*)
今日は(も)昼メシはレトルトカレーにしてしまったので、なかなか初インドを達成できません(笑)せっかく近くに「王様のカレー」があるのにねぇ…
なんとな〜く手巻き寿司にハマりそーな予感がするのは経済テキな理由が大きいようですよ(≧∇≦)b



ムー吉どん
おはようございます〜っ!
ボクもその番組を見ましたよ…やはりムーさんと同じ気持ちになりました。印象的だったのは男性が「みんな復興したと言っているけど、元通りになった物は何一つない」という意味の発言をしていた事です。
失われてしまったものにあえて目を向けようとせず、街の美観や新しいモノによって隠蔽してしまおうとする為政者の「未必の悪意」のような存在を捨てきれません。
まだ終わっていないどころか、震災の真っ最中で闘い続けていらっしゃる方がいる…日記の冒頭の一文にそうした思いを織り込んでみました。



チャッピ〜さん
おはようございます〜っ!
以前に寿司屋のカウンターで大将に手巻き寿司を注文しているアホ女を見ました(笑)「オマエ、寿司屋で手巻きを頼むなんて職人をバカにしてんのか〜っ!」と思いましたよ。
でも家庭じゃ手巻がいいんですねぇ、今回改めてそう思いました。ボクは決してメンドーとは思わなかったけど、準備の方がよっぽどタイヘンだぜ〜(笑)ですが、やっぱりヒトによっては出来上がってる握りやチラシをパクパクの方が楽チンでいいと思うのかなぁ。
去年神戸の街を見ておいてよかったね、まだアチコチに爪跡は残ってるけど、震災時の写真の重みがしっかりワカル気がするし…
父と母が神戸に旅行へ行ったのは震災発生のちょうど一年前、平成6年1月17日でした。