焼いても唐揚にしても美味しい鶏の手羽元だが、醤油で甘辛くこっくりと煮て食すのもまたいいものだ。
身近にある根菜類と一緒に炊くと鶏の骨から出るダシもシミて、どんな野菜も美味しくしてくれるマジックもある。この時期甘くなり始めた大根などは“下茹で”といったメンド臭さを厭わない相性の良さもあって、木枯らしに冷えたカラダを温めてくれる。
昨晩はそうしたいつものセオリーをちょっとだけハズして農民市場でテに入れた“抜き菜”を茹でて添えてみた。抜き菜といってもイロイロあって小松菜だったりほうれん草、あるいは人参と云った根菜もよく見かける。いわゆる“間引き”した野菜を捨てずに食材として利用するワケであって農民市場らしい品物だ。
コレは大根の抜き菜で、サラダに添えて食してもイケる美味しさとパリパリした歯ごたえが楽しいヤング大根である。一緒に煮込んでしまっても構いはしないのだが、その白さといったものや先端の淡い緑色が惜しくてサッとゆがいておいたワケなのね。
鉢に盛りつけ(…って昨日はドンブリを使ってしまったが)煮汁も少々入れてやり、この茹でた大根やその葉を煮汁に浸しながら食す悦楽。
ふわりと柔らかに煮あがった鶏肉はホネ離れもよくジツに旨い。ほんのちょっとだけ甘めに仕上げてやるのがコツと言えばコツかもしれないが、何れにしろ酒の肴に申し分ないばかりでなくゴハンのオカズとして無類の強みを発揮する。
もう一つこの料理をするトキに楽しみなのはタマゴである。巷ではラーメンのトッピングに“半熟煮玉子”といったモノが流行っているが、黄身の外側が黒変するくらい固茹でされたタマゴは、殻を剥かれてはダシ醤油でさらに煮込まれるコトによって白身が弾けるようなプリプリ加減に成長し、中の黄身はムセるくらいに旨味を溜め込んでは甘辛い煮汁に浸されるのを待っている。う〜む、コチラも捨てがたい煮玉子なのだよ。
しかし昨日の茹で玉子は“カラ剥け”が悪かったなぁ…たいていはツルリと剥けてキモチよく「降参しましたー」みたいにオトナシクしてくれるのに、グズグズといつまでも未練たらしく白身にヘバり着いてはボクを困らせた。
オカゲで半数近くがボロボロ外見の茹でタマゴでミットモナイったらありゃしない。
でも何で時々こんなコトになるのだろう。多分タマゴの鮮度も関係しているのではないか…とは思うのだが、その結論が見いだせないので確たる解決方法も模索中のままだ。
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今朝の富士山
パープルからサーモンピンクに変化する空
5:38AM, October 29. 2009. @Fujinomiya-City
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