ちょっと出遅れましたが『石川小芋』

実際は出遅れというホドでもないのだがお盆も過ぎるころにはボチボチ出回り始めていたので、なんとなくアセっていたというか…まあとにかく早く喰いたかっただけ…と言ってしまえばそれまで、いつもの喰い意地が膨張したと云う切ない心境なのである。

このフォトのように型の揃った美品だと100gで¥100くらい、ところが大小とり混ぜ細い太い変形変色玉石混交状態しかもロクに洗っていない泥つきのものならいつもの農民市場で1kg入りの袋が¥200ほどで購入出来る。
平素の食事なら後者で上等、たいていはソレで満足な食生活を賄えるが、ちょっとコシを据えて夏の夕暮れ時に冷酒などを嗜みつつ旬の恵みを味わいたいなあ…などと気取ったシーンでは粒揃いの里芋にテが出るというものだ。
以前は鍋で塩茹でにしていたが、近年このテの料理は蒸したほうが失敗も少なく美味しく食べられることに気がついた。工業製品と違い自然の食物は含有する水分やその他の状態が一定ではないので、水から茹でたりすると加減が不足だったり過ぎたりとなかなかに思い通りにならない哀しきトーシローなのであるが、蒸すという工程を採るとその完成許容範囲が多少ユルくなってくれるので大いに結構なのである。まあ要は火が通ってくれさえすればオーバー気味で終了しても美味しく仕上がり、茹で過ぎてズクズクになってしまい口惜しい思いをする確率が低くなる…と云うことなのだな。
ポテサラのジャイモや人参だけでなく、煮物用に下茹でするレンコンやサトイモなども蒸すことによって色よく型崩れもせずに美しく仕上げることが出来るので多用するテクニックとなった。

蒸したては確かに美味しいものだが、いかんせん熱くて皮を剥くのがタイヘンである。そこでザルに盛ってパラパラと塩を振りかけておくと粗熱がザッと失せてゆくうちに適度に塩分がシミていい塩梅である。
まだ少し温いかな〜くらいのうちに食すとサトイモの甘みも上々でテが止まらない。右手も左手も忙しく呑み助だってけっこータイヘンなのである。手でつまんで少しだけギュッと絞るように皮を押すとナカミ本体がつるりと剥け飛び出して来て嬉しくなってしまう。ココで加減を間違えるとピョンと飛び出してしまい、卓の上での出来事ならばそのまま拾って食せばよいが、庭の縁台に腰かけてビールなんぞを飲りながらこれをやってしまうと大切なサトイモ本体が土の上に飛び出し転がり、まるで黒ゴマ団子のように変わり果ててしまった石川小芋をボー然と見つめることになるのである。


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今朝の富士山


7:20AM, September 18. 2011. @Fujinomiya-City