■ わかさいも
昭和5年創業の老舗が紡ぐ北海道銘菓
父の転勤で北海道の釧路に移住したのはエロおやぢが4歳のとき、昭和37年のことと記憶しています。父はもちろん初めての土地ですが、母は戦前に樺太から引き揚げてきて静岡に移り住み、その後再びその北の大地に足を踏み入れることとなったとは言え、戦争による引き上げは幼少のころの話ですから北海道は初めてみたいなものですね。
当時の北海道には例の反日偏向報道の某国営放送局の他には民放テレビ局が2つしかなく、その HBC と STV だけを視聴することが出来たわけです。どんなCMだったかはすっかり忘却の彼方ではありますが、当時から北海道銘菓「わかさいも」という商品名がよく流れてきていたので、その名は脳裏に深く刻まれました。へえ~、でも「わかさいも」って何?みたいに、その実体を知ったのはしばらく経ってからのことでした。
何かの折に両親が買い求めてきてくれたそのお菓子は焼芋をリアルに模したものだったわけです。封を開けるとお醤油が焦げたような芳ばしい香りが漂い、それを割ってクチに運べはほくほくとしたあの焼芋の食感が見事に再現されているではありませんか。おぉ~コレは美味い、当時から家族にはなかなか評判の宜しいお菓子でありました。
面白いのは芋の繊維(現在のサツマイモ類には繊維のあるものなど皆無ですが、当時はそれが普通でした)を表現する為に大福豆の餡に切り昆布を練り込んでその様を再現してあったばかりでなく、調味やお醤油の風味が焼けた芋の皮を彷彿とさせる工夫がしてあり、とても優秀な焼菓子だったわけです。単に焼芋を再現することが目的ではなく、素朴なスイートポテトのようなスタイルを目指していたのではないか、と考えます。
昭和5年に洞爺湖の温泉土産として考案されたこのお菓子、その名は創業者である若狭函寿さんの名字を冠したものであることを知ったのは静岡に帰ってきてからのことでありました。それにしても歴史の長い名物菓子ですね、でもいちど食していただければその理由はよ~くご理解いただけるものと思います。当家に於きましても北海道フェアなどで目にすれば必ず購入する思い出の品でもありますから。
◆ わかさいも(株式会社 わかさいも本舗)
https://www.wakasaimo.com/
■ 長月の庭風景 彼岸花の基本構造
その花弁がすっかり収縮し
まるで骨格だけになったような彼岸花
開花時の華やかな姿からはその構造の想像はつきにくいものでありますが
こうしてみると学名リコリスの一種であることがよく判ります