■ 煮かつ
体験談の真相
時折思い出しては食したくなる『煮かつ』ってものです。
最近はフツーの「とんかつ」よりもこの『煮かつ』の頻度が高くなったのは、やはりこの食感の柔らかさとか穏やかに変化している脂質のためかな…と思うのでありまして、つくづくテメーの消化能力の低下を実感するものです。
まあそれでもたまにはヤケドするくらいの揚げたてアチチな「ロースとんかつ」も食べたい欲求は衰えることはなく、そのうちにお気に入りの某老舗に突撃してはがっつりと喰らってくることを夢見る日々なのよね。

この『煮かつ』をいただく度に思い出すのは、大学の同級生である愛知県江南市出身のMが当時山梨県に旅行をしたとき、通りがかりの食堂で「かつ丼」を注文したらしいのね。そして出てきたその「かつ丼」は驚くことに丼ゴハンの上にただの「とんかつ」がど~んと乗っているだけ…という初体験のものだったのだと云うのです。
てっきりダシ醤油と一緒に玉子綴じしたものが提供されるとい思っていたので(これはおかしい…)と思い、彼がお店の方に尋ねると「あぁソレは " 煮かつ " って言うんだよ」と笑われたらしい。今ではそうした「かつ丼」もフツーにアリだという真相は、北陸や東北のグルメ情報が豊富な現在では常識的なことなのですが、我々が大学生のころは生活圏の習慣や食文化しか把握しておらず、前述のような体験談として語られたわけです。ええ、当時はボクも「へえ~変わったかつ丼もあるもんだよなあ」と奇妙に思ったものでした。

お醤油味の出汁ツユに玉葱の甘さと香り、それだけでも「とんかつ」の相棒としては充分なものなのですが、あれから何十年も経た今はちょっとしたゼイタクも当たり前のようになり、季節のヤサイであるナスやオクラを添えてみたりして単なる『煮かつ』が豊かなお味の世界を拡大しているわけですね。
冷えたビールをぐびりと飲りながら、そんな旧友とのかつてを振り返り、まだ少しはピュアなココロも持っていた若き日々を思い出してみたりもします。汚れてズルばかりしている今はジツにみっともないのです。
■ 水無月の庭風景 晩節と新生
最後のアマリリスも晩節を迎えました
萎え枯れて項垂れた姿
最後のエネルギーを振り絞るように保持していた雌蕊も
情けなく下向きとなって見る者の哀愁を誘うのよ

いっぽう溌溂とその枝葉を伸ばすセージの群落
柿の木の下で下枝に届かんばかりになっています
昨年に比べてずいぶん株が増えましたよ
花が終わったら少し整理をしましょうか

鮮やかなコバルトブルー
雨上がりはしっとり落ち着いていますが
陽が当たるとプラチナのように輝き
ホウジャクやミツバチなどの昆虫に魅力を振りまきます

ホタルブクロは白も紫もそろそろお終いですね
花弁が凛としているものはこれが最後のひと枝
これも赤茶に皴枯れて哀れな末路になってゆくのですが
他の枝は次世代への橋渡しを既に終えたようです
