通うハメになったのだ『富士見うどん』


もう何年も前からその存在は知っていた。新聞に案内チラシが入っていたコトもあったし、幾度もお店の前を通りかかっている。
安くて美味しい…というウワサは小耳に挟んでいたものの、シツレイな話だがお店の外見から「どーせフツーの立ち喰いうどん屋だろう」くらいにしか認識していなかったのはミステイクなのであった。

カラダの調子を悪くしてしまい「何か胃に優しいモノでも食べたいなぁ」と感じていた病院帰りに、ふと思い出したのがこのお店である。
暖簾をくぐると網戸の戸棚の中には各種の天ぷらや油揚げといったトッピング類が収められていて、セルフでチョイスしては食すという“讃岐うどん”の典型テキ店舗形式を踏襲している。そう、ココは看板にこそ表記していないが讃岐うどんのお店だったのである。

テーブル脇やカウンターには注文用紙が置いてあり、食べたいうどんの種類欄に個数を記入しレジに持ってゆく。清算を済ますと厨房にオーダーが通りカウンターにうどんが出される…というシクミになっており、ソコからはトレイに載せたりマシンで保温されているダシツユをはったりトッピングを施したり…といった作業は全てジブンで行わなければならない。

もちろん席まで運ぶのもそうなのであって、なにかこう学食のような懐かしいフンイキはなかなかに心躍るものがある。
静岡の場合こうした庶民テキなお店の場合うどんだけしか献立にないというケースは稀で、たいていは蕎麦などもあるものだが、富士見うどんさんは“うどん一本”の潔さであり、その点もスバラシイではないか。
ざるうどんに至っては刻み海苔や花カツヲといったトッピングは一切なく、ドーンとプレーンなうどんがザルに盛られて提供される姿はジツにスガスガシイものがある。
肝心のうどんは本場讃岐のものに比べ若干軟らかめではあるが、今のボクにはまさにジャストな硬さで申し分ない。若いコロはラーメンやうどんにはゴリゴリとしている位の歯ごたえを要求したが、すっかり消化器官の能力が衰えてしまった今は蕎麦以外は少し柔らか目が好みに変化している。
   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

各テーブルにはこうしたおろし金と古根生姜がモロに置かれていて、客は好みでスリスリしてはうどんの薬味に利用するのだ。ボクも早速スリスリしてはざるうどんに添えて食してみたが、やはりおろしたての香りと刺激は作り置きしたものと一線を画する美味しさがある。
今どきの感覚すると不特定多数のヒトが触れた食材をそのまま使い口にするというコトに抵抗があるかも知れないが、実際は何のモンダイもないどころか本当のエコロジーとはこういうものなのだと肝に銘ずるべきだろう。四国では客が畑からネギを抜いてきてジブンで店内にあるまな板や包丁を使って刻む…などという極端な例もあるようで、すっかり時間の流れが違う空間も存在するものである。

気取ったお店とは違い“釜揚げ”はドンブリにはられて提供されるし、デコラ貼りのテーブルにパイプ椅子と云うのもレイドバックした空間で面白い。ハラいっぱい食したい向きには先の戸棚の中にオニギリやおイナリさんなども用意されている。
   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

何度か通ううちに“釜玉”をまだ食していないコトに気づいた。テレビや映画で見た釜玉は、茹で上げたうどんを湯切りし丼に入れた上に、生タマゴを割り落としては生醤油を回しかけて食す…というスタイルだった。
ところがカウンターに出された富士見うどんさんの釜玉は、ドンブリの中でタマゴとうどんが混ぜ合わされた状態でミゴトな黄金色に輝いている。
お店の方は「ダシつゆをかけて召し上がってください」とコトバを添えてくれたが「えっ!お醤油をかけて食べるんじゃないんですか?」と訊けば「そーゆーお店もあるみたいですけど…お好みでどうぞ」と想定外の答えが返ってきた。ソレでは…とお店の推奨通りにダシつゆを少々かけて食してみれば「コレがまたサイコーっ♪」なのである。
通い詰めても飽くことなき美味しさを楽しめるお店なのだ。

天かすと葱はセルフでスキに入れて構わないので、最小限の出費で済ませたいなら“かけ”を注文すれば¥200でオッケーだ。フツーの量であれば様々なオプションを加えてもワンコインで収まるリーズナブルさは平日の昼時にも満席に近い店内に現れている。
ボクは昼どきにしか行ったコトはないが営業時間が朝の6:30からと云うのは、出勤前にササッとうどんを流し込んでゆく熱狂テキなファンがいるのかもしれないなぁと想像している。


富士見うどん
静岡県富士宮市小泉665-1
TEL=0544-28-5777
ACT=6:30〜19:30
年中無休(正月除く)


地図