『鶏肉の醤油麹焼~ネギ風味』と野蒜のカンケー

かつて田んぼだった隣地は宅地として転売され昨年から造成工事が行われている。子孫繁栄の営みの場を失ったケロ助たちはどこへ向かうのだろうか。

そしてこの哀愁のイナカ町に引っ越してきたころは夏には未だホタルが飛び交う豊かな田園風景があったものだし、ケロ助たちが放つ求愛の叫びが盛大でテレビの音量をかなりアップしなければならないほどだったのにね。秋になれば収穫後の稲干しが富士山をバックに映えたものだし、正月にはその田で行われるどんど焼きに子供たちの歓声が響いていたものだった。
今は寂しいと思うのはカッテだろうか。あれから40年…って誰かの漫談ではありませんよ大マジメなハナシです、世の中はすっかり様変わりして絶対に引き返すことの出来ないものになってしまった。母上は未だ元気に過ごしているけれど父は既に他界し、知人や友人たちもだんだん老い、ボク自身も還暦まであと僅かという位置になった。肉体的な衰えは隠しようがないけれど、それでも精神面はまだまだと自負しているのでしばらくは煩悩に満ちた生活が出来るとは思いますけどね。
う〜ん、なんだかシンミリした日記になってしまいましたねえ、いや本題はその田んぼの畦に出てくる“野蒜(のびる)”のことなんですな。

そう、世の中はすっかり変わってしまったけれど、野蒜たちは春になると相変わらず元・田んぼの畦からニョキニョキとその芽を伸ばしているわけなのです。先日に母上が菜園の雑草取りをしていた際にソレを見つけたらしく、引き抜いてみるとリッパな球根が育っていたのでちょっと食べる分だけ採ってきた、という次第らしいのね。
こいつを採ってくるのはいいんだけど、細かい根や泥とか他の植物の枯れ草などがたくさん付着していて洗浄するのがとってもメンドっちいのですよ、ボクは何度かそうした経験からもうテメーで採ってくるのはヤメにして、農民市場などで洗浄済みのものを購入してくる方向に切り替えたんですけどね、マメな母上は丁寧にそのシゴトを行いザルにあげてくれてあったのですな、いや〜有難い。
細切り昆布と共に松前漬にするのは上等なものだけれど、タタッとイージーに食すには塩コンブと和えてしまうのが宜しい。テキトーな大きさに切り揃えたら塩コンブとよ〜くまぜまぜもみもみしてひと晩置けば出来上がる。こいつは晩酌の肴には申し分ないものだし、朝食で炊きたて白ゴハンにバサッと乗せてあぐあぐ食すのもサイコーなのですな。


OLYMPUS  OM-SYSTEM ZUIKO AUTO MC 1.8/50  @ SONY α7

そんな“野蒜の塩コンブ和え”を『鶏肉の醤油麹焼~ネギ風味』に添えてみた。いや〜美味い美味い。何のカンケーもないように思えるこの二つの料理だけれども、醤油麹で風味よく焼きあがった鶏肉にトッピングしたネギとは親類だし、何より春の陽光をたっぷり吸収して育った香味野菜同志といった関連性があるわけなのであって、相性はとってもいいに決まってるじゃんね。
根深ネギの旬はそろそろお終いだけれども、冬を越して甘さを蓄えた旨味はこの時期ならではのものがある。青い部分にたっぷり付着しているトロトロは“ムチン質”といってとってもカラダにいいんですってね。免疫力の強化や内臓の炎症抑制、肝臓や腎臓の機能を高めたり疲労回復にも寄与するという。へえ〜ドライアイにもいいらしい…ってさ、ミネラル豊富な野蒜と共にキブンはすっかり若返りサプリメントじゃん。カラダの各所に言うところが多くなったエロおやぢは自然とこーゆーものを要求してるんじゃないかと。まあセッセと食して元気にしていないとね。


※2018.04.20.追記
本駄文日記の中で“ムチン質”に関する記述に誤りがあるとのご指摘を読者殿からいただきました。ご丁寧な内容には感謝しておりますが、要求されている記事の修正につきましては精査したうえで対応させていただきたいと思います。ご指摘いただいた内容は以下の通りです。

記事の修正をお願いいたします。
修正の際のポイントは、3つあります。


(1)「ムチン」という言葉を使うこと自体が誤り。
(「植物」の話をしていて、「ムチン」について語ること自体ナンセンスです。)


(2)「ムチン」と関連付けて語られてきた、夏バテ解消、スタミナ食材、疲労回復といった健康効果も全く根拠なし。
(「健康効果」は、ヒトや動物から分泌される「ムチン」本来の働きから想像された話であって、食べてどうこうの話ではありません。)


(3)「ネバネバの正体は『ムチン』」も誤り。
(「ムチン」は「糖たんぱく質」といわれますが、「植物の『糖たんぱく質』」はネバネバしていません。)
「植物の粘性物質をムチンと呼ぶことの根拠や起源」が判明いたしました。「『mucin』と『mucus』の混同」ないし「『mucus』の誤訳」が誤報の原因でした。つまり、動植物の粘性物質をムチンと呼ぶ「学説」は存在しません。


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大寒も 忘れし過去の 小手毬や



Nikon  Zoom-NIKKOR 4.5/80-200  @ SONY α7


この花が咲くと「あぁもうすぐ初夏がやってくるんだなあ」と実感する。ついちょっと前まで厳しい寒風に凍え震えていたことさえ忘れてしまう春のヨロコビですな。

実は昨年の夏にこの小手毬を引っ越しさせたのよ。柚子の木の下で陽当たりもイマイチ、周囲には金柑や紫陽花があって枝を伸ばしずらい環境だったからね、思い切ってバックリ掘り起こし清々とした場所に移したのだ。
初めのころはちょっとヤバくて「もしかしたら枯れちゃうかも」みたいに弱ってしまったけれど、毎日水をたっぷり与え雑草などから守ってやった甲斐もあったのか、今年になってメキメキ枝葉を成長させてこの通り。
純白ではなくアイボリーがかった白、淡いモスグリーンの葉、控えめな赤茶色をした軸…まるで日本画の岩絵具で描写したようなこの花の姿にはとってもジャポニズムを感じるし、気品があるせいか茶道や華道でよく用いられるのも解るというものだ。
花言葉もまさにその通りであって優雅とか上品という文言が並ぶのね。あぁボクとは正反対かよ、まあヒトはテメーに無いものを求めるってーのはあながち間違いではなさそうですな。