「クレマチスの丘」で考えたこと

人はそれぞれに考え方や価値観が異なるのであるからナニをしようとケチなんぞつける気は毛頭ないけれど、洋館風のハリボテ結婚式場に設えられた同じくハリボテのチャペルで神父風のオトコに祈りをささげてもらったりエンゲージリングの交換をするなんてことが、よく恥ずかしくないものだと思うのよ。

一方で姪のS子の婚儀は三島大社という由緒正しくまた歴史のある場所で執り行われ、ひとつひとつの行為にきちんとした意味があることが大いに好ましいと思えるのだな。神主の所作や祝詞、巫女の舞、笙・琵琶・太鼓によるライブ雅楽…ボクにとっては初めての経験だったけど、やはり本物であることは新たな人生の門出にふさわしく、またあるべき基本だとも言えるのではないか。

ごく近しい親族だけが参加するそんな式を終えて会食をする場所に移動をした。
駿東郡長泉町にあるクレマチスの丘である。
四つの美術館に井上靖文学館、ガーデンといくつかのレストラン…文化的な空間と自然が一体化する多面性が喧騒・欲望・責任・雑多な感情が渦巻く混沌の日常生活からイッキにワープできる場所なのよ。考えてみれば大学生のころは本当によく美術館に出かけた。その作品に触れ、アーティストの心を探り、静かな時間を過ごすことによって自分のアイデンティティを確認出来る唯一の時空だった気がする。

いつの間にか煩悩にまみれ、流され変わってしまった自己に気づくこともなく過ぎ去っていったこの何十年かが諸行無常なものである現実。あ〜、ちょっとショックだよねえ。でもいい機会を与えてもらったなあ、もうちょっとマトモな人生を歩もうではないか。

会食のお料理はとても素晴らしいものばかりだった。お題目だけで12もある献立なのだけれど、そのひとつひとつがいくつかの料理の組み合わせになっているものもあるので、実質はその倍以上の数になるだろうな。
あとから思ったことだけど、最初に供された『前菜』がこの日本料理レストランのポリシイやベクトルのエッセンスなのではなかろうか、ということだ。

もちろん『あしたか牛の陶板焼』などメインとなるお料理のクオリティーは素晴らしいものがあるけれど、季節感や祝いの宴席にふさわしい華やかな演出はスタートの前菜にきっちり印象を彫り込まれてゆくものなのよ。

アルコールもそうしたものたちにふさわしいクオリティーのものだけが準備されていたけれど、クルマで出かけた食事ですからねぇ飲酒運転はご法度ですもの…って、実はそれも言い訳でしてね。
このところ昼間のアルコールってのが少し苦手になってしまったのが正直なところでしてね、なんか疲れちゃうんですよ。もちろんこうした素晴らしいお料理には美味しいワインやシャンパンが添えられれば申し分のないものになるのは解ってはいるんですけどね、それに帰路は運転代行ってテもありますからその気になればいくらでも飲れる訳なんだけど、やっぱりお酒でココロを解放するのは一日の終わりにしたいなあと思うのです。

そんなワケでペリエのみで過ごした会食なのだな。以前はノンアルコールビールなども試してみたけれどなんだかサエない風味の物ばかりだし、それにソレって南極2号でコトを済ませるみたいな虚しさを感じない?って思うのよ。烏龍茶なども料理の内容によっては見事にジャマしてくれるしね、やっぱり水が一番さ…と思っていたら、近年「ガス入りウォーター」が最適であることに気が付いた。ヘンなアルコールとそれに類似したものよりよっぽど理性的で正しい方向だと思うのである。
残念なのは炭酸水単品を提供してくれるお店が少ないこと。欧米諸国の人々がたくさんやってくる2020年対策なら、禁煙よりもソッチが先だろって思いますよ。
帰宅してヤレヤレ…と一杯飲りながら、いただいてきた品々を眺めたり確認してみたりもするのだけれど、三島大社の記念品は紅白の『落雁』だった。流石に品のよいものを下さるものですな。
そして「クレマチスの丘」で感じたことをもう一度反芻してみるのである。


All Photographs : MINOLTA  M-ROKKOR 2/40  @ SONY α7




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