ワインはどーしますか…『バゲットのチーズトースト』

スキなミュージシャンはたくさんいるが、反対にどうしても馴染めない…を通り越して不快な音(ボクにとって)を聞かせてくれるミュージシャンもいて、ヒトの好き嫌いが激しくなった近年のエロおやぢはますます世間を小さいものにしている。
それが絵画や彫刻となるとそうしたものは皆無で、それぞれの時代やカテゴリに於いてウットリと眺めたり蜜に溺れる昆虫のように精神テキな快楽を貪っていることもある。それは耽溺というコトバがふさわしいかも知れない。熱中とか夢中というともう少し若くて世間知らずな、でも内側でバクハツするエネルギーを抑制出来ず我武者羅にそして他を顧みずに抱きついては追求してゆくという可愛らしさもあって、それはそれで悪いことではない。人生にはそーゆー時期だって必要なのである。ただし読んで字の如く熱に冒されている間だけ、あるいはあくまでユメ見る世界に於いての空想テキ限定精神状態であることが要求される。
しかし耽溺という行為にはもう少しオトナな理性とか深い知識と理解みたいなものの存在を感じないだろうか、いや確かにそうなのである。

そりゃね人生半分の50も過ぎて下り坂に差し掛かろうってトキに、それまでのトモダチをほったらかして若いオンナに夢中になるとか家族の迷惑や不幸を無視して突然に道楽に走るなんぞモッテノホカなのであって、そーゆーオトコは生活力はあっても優しさがない…つまり生きてゆく資格がないということだ。フィリップ・マーロウもそう懐述しているぞ。
ボクは最近何人かの画家の作品に耽溺していて、近い将来にその作品を実際にこの目で確かめに行きたいと考えているほどだ。数々の奇行やその特異な風貌でよく知られるサルバドール・ダリもその一人で、一週間くらいバルセロナに行って彼の美術館とアントニオ・ガウディーの建築を堪能してきたい。ピカソはとても有名で多彩な天才アーティストだが、ダリはその卓越したテクニックとアイデアがある意味ピカソ以上に天才テキ能力を持っていたと言える。妻のガラと共に仕組んだこととは言えハチャメチャな生活ぶりもエキサイティングでステキすぎないか!
そして19世紀末ウイーンの芸術界に登場したエゴン・シーレグスタフ・クリムトもボクを虜にしている。破滅、愛、希望、退廃、エロス、慈恩、絶望、本能、孤独、全ての欲望…そうしたものが混濁したような世界を創り上げて、人間の生や性の本質をムキ出しにしている姿に感動を覚えるのだ。
何でこんなことを書き散らしたかというと、バゲットにチーズを4種類ほど乗せてトーストしたらとても美しい模様が生まれてクリムトの絵を思い出してしまったからなのね、ヒトのココロをかき乱す黄金色…ってカンジでさ。
ところでワインはどーしますか… う〜ん、もうちょっとのガマンね。そう食事はまだ耽溺というスペースまで辿りつけない状況が続いているのよ。




クリック↓↓↓で応援をお願いします






Sora



6:38AM, November 12. 2011.











ムー吉殿
そうですか、やはり幕は閉じられていましたか…ノ(´д`*)
こんにちは! 最近ヘンだなあと思っていたんですよね、困難なこと、イヤなこと、ヒトが避けたがることに立ち向かおうという意欲がわかないのよ(´▽`*)アハハ アグレッシブな生き方が出来なくなったらオトコはそこでお終い。 
しかしムカシの賢者はよく言ったものだと感心しますよ、単に生物としての寿命の話ではなくて、50歳過ぎたらそこまでのココロの貯金というかオツリだけでしか生きられないんですよね…