静かに呑む酒

あるがままに

たまには静かに独り呑みたくなることだってあります。
特にスゴい肴があるわけでもなく日常の楚々としたつまみがそこにあるだけなのですが、それも決して粗末でもなんでもなくて「あるがままにある」といった風情なのであります。

ひじきの煮物

流行りコトバに「バエる」なんてものがありますけれど、見苦しい…あるいは聞き苦しいものでありましてね、誰が言い出したのかは知りませんけれどもう虫唾が走るくらいイヤなコトバですな。
ヒトの心のすき間に入り込んで知らぬ間にそれを喰い尽くすような、おぞましいものがあります。虚栄心など誰しもが陥りやすいココロの罠にどうしていとも簡単に落ちてゆくのでしょうか。

紅鮭の焼いたもの

まあいずれそんなコトバは消え去ってゆくのでしょう、哀れな人々と共にね。そんなことよりも日々のオカズや弁当のお供に欠かせないこれらのお惣菜ですな、ジツに凛とした佇まいがよろしいではありませんか。
海洋民族だった我々に与えられた自然の恵みと四季の味わいが、こうして食すものを静かに誘い必要にして充分な豊かさを与えてくれるわけです。これ以上ナニを望むのか、よく考えてみる必要があります。

菜花のおひたし

ただ第二次世界大戦後の世界を鑑みますと社会の支配的あるいは伝統的な文化に対し、また別の価値観が芽生えてきているわけでして " 食 " の文化史にもそれが見て取れるわけです。いわゆるサブカルチャーと呼ばれるもので、ほぼソレなしでは生活が成り立たないほど浸透しております。ファストフードに冷凍食品…これらの進化はまだまだ続くでしょう、そして我々の生活をより安全で快適なものにするに違いありません。

越乃寒梅

それでもあえて卑近なお料理を持ち出してくるのは、やはり伝統としての食生活であり、脈々と流れる食文化があるからです。つい忘れがちだったあのお料理もよく噛みしめ味わえば素晴らしい世界が待っているのでありまして、気づかず無為に過ごしている日常に警鐘を鳴らすものでしょう。
あぁもっと深く知りたいと思うし、もっと広く知りたい。残された時間はあるようなないような…そんなことを考えながら呑むお酒です。
 
 
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弥生の庭風景


最期だ最後だと言っておきながら
本当にコレが最後になるでしょう
よく咲いてくれました
最期は散った花弁を愛でる春の日

弥生の庭風景 梅散る   Nippon Kogaku NIKKOR-S Auto 1.4/50  SONY α7