(64) 茨城県水戸『天狗納豆・地大豆』


懐かしい天狗納豆はまたしてもカップ仕様、北関東から遠く離れた静岡では仕方のないコトなのね…。そうはいってもやはり天狗納豆らしい気概と云おうか伝統のお味はキッチリ再現されている。
カップの中をかきまわすハシにもチカラが必要だし、香りもチカラ強く旨みに厚みがある。できればヨケーなものは混ぜたりせずにドーンと納豆イッポン勝負…違う、1カップ勝負してほしい一品である。
納豆各メーカーはさほどでもない単価の製品にも国産大豆を採用するケースが多くなっているが、さらに一歩進めて地元の大豆のみ使用というプレミアム性を持たせたものも良くメにするようになった。本製品もそうした新しい流れを汲む商品でもあり“生産者の顔が見える”食品がいかに急増しているかがよく判る。
いや、しち面倒なゴタクはどうでもよくて、とにかく「美味いっ!」な納豆なのである。



天狗納豆(有限会社 天狗納豆)
http://www.tengunatto.com/











エウロパS2さん
こんにちわ!
やはり行間を「読む」のに苦労されましたか…特に何かの説明を行う場合には感情や余計なものを排除して行わなければなりませんので、書き手にとっても集中しての作業になりますね。文節が区切られるタイミングとセンテンスの関係で大きく意味合いを変えてしまう場合もあり、かなり神経を払います。理系の文章はそのような配慮がなされていない書物も多く「こりゃわかんねーだろーなぁ」というものもしばしば見かけます。書いたヒトだけわかってる〜みたいな(笑)
「薄いドレープを纏った星雲」といった場合「薄いドレープ」なのか「薄い星雲」なのか、どちらも日本語としては間違っていませんが修飾関係が明確でないため曖昧な表現で、これは何かの説明を正確にしなければならない場合は致命的な欠陥文章ということになります。
文学に於いても作家それぞれにクセというか個性があって「文体」などと呼ばれてマニアックな分類もされますね。ボクもジャンルはあまり固定しないようにしていましたが、心の琴線を鳴らしてくれるような作家が見つかるとその方の著書は全部読まないと気が済まなくなるタチでして(笑)随分まわり路をして読書を積んでいったような気がしますね。
今ならもう少し気楽にできるコトも当時は若くて頭がカタかったんでしょうノ(´д`*)



ムー吉どん
こんばんわ〜っ!
明らかなウソはやめましょう(笑)ず〜っと買い続けていた本があるでしょ?ビニール袋に入ったアレですよー(≧∇≦)b
殊に大学生のコロは読書量も多かったのですが、電車通学(富士宮から静岡市内)していたコロに比べてクルマに乗り出してからガクッと減りましたね。単なる時間配分の減少だけじゃなくって、快楽と知的好奇心が別の方向に向いちゃったみたいで…。
タブレットPCみたいな文庫本端末があるでしょ?アレって活字文化の退廃だよねー
活字って書体の美しさも含めて文化なんだから…



元ルーさん
おばんでしたー! オカゲさまで大分ゲンキになりましたー
心配ご無用っ! ボクも年に2度くらいやります…「なにコレ! 同じ本だったじゃん…(しょっく)」(笑)
サスガに読んだ本はそーゆーコトありませんけど“読もうと思ってストックしてあるヤツ”にしばしば発生してしまいます。つい二週間前にもやってしまいましたー(;´Д`)ノ
小林多喜二ですか…流行ってるとソッポを向きたくなるヘンクツ者ですから、多分あと最低十年は読まないでしょう。ソレ高校生の頃読みましたけどね…同級生の土田ってのに勧められて…あまり記憶ないっす(爆)
でも通勤文庫本って行きと帰りが同じ場所に栞が挟まってたりすると滅入りますよねー