『釜めし』と『わっぱめし』の間でユレるココロ

タイトルは『わっぱめし』にしようと思っていた。ところがこの弁当に貼付されていたプライスには『釜めし風弁当』と印刷されていて、ジブンの主張と違うのだな、困るじゃないかキミ。
どう見たって『釜めし』には思えないが、作った本人がそうだと言い張るのだからココは従うしかない…というのが世間一般の習わしなのである。偏屈者としては鬱憤が蓄積してゆくのがテに取るようによく判るのであって(だってさぁ違うよな〜)とココロがユレながら食した遅い昼食なのであった。
お味はワンコインの弁当としてはかなり上等な部類、スーパーの惣菜コーナーではなくどこかの料亭による仕出しと言われれば「やっぱりそうだったでしょ!」と目を輝かせて言ってしまう位に品のよい調味と品質で満足なものだった。

もしかしたらこのお弁当の製造者は『わっぱめし』というコトバを知らないのかもね…とも考えた。よくあるハナシである。オムレツとオムライスの区別を知らないとか炒飯とピラフの違いを理解把握していないヒトも多い。特に外来語系洋食の場合は訛って日本語化している場合も多いので誤用・カン違い・珍改造・なんだこりゃ奇名称など時折ひどく笑わせていただくこともある。
先日行った兵庫県加古川市の『かつめし』もフランス語のコォトレットがカツレツになってパン粉つけ揚げ物全般がニッポン人の好む縁起のよい“カツ”というフシギな日本語になったものと合体したメニューだし、同じお店の“ハイシライス”はハッシュドビーフ&ライスがハヤシライスとなり、さらに地方色豊かにナマって出来た名称であることは想像に難くない。
しかし間違って一般名称化してしまったものであれ、コトバとは多用されるものが勝者として残り、常に変化し続けるものなのである。ソレが決していいことだとは思わないし、美しい日本が消えてゆくのを黙って見過ごすワケにもゆかず安易な方向に流れている若者たちに対し微々たる抵抗はしているが、近年のコトバの乱れはあまりにヒドすぎて何とかならないものか…と日々悩んでいる。




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今朝の富士山
この時期にしてはヒドいカスミでして…



6:05AM, October 13. 2011. @Fujinomiya-City