オキテやぶりの『あなごめし』

友人が広島のご実家より送られてきたアナゴを分けてくれた。そのまま食してもいいのだろうが、本場・瀬戸内モノだけに“あなごめし”にして食べたくなるのはムリもないコトかと思う。

いったん素焼にしたものを醤油味に煮てあるのは関西の食文化だろう。関東では開いたアトはいきなり煮てしまうのが常だからだ。
ドチラが美味しいか…などと言うのはヤボな話で、それぞれに特徴があり異なる価値があるものに優劣はつけられない。こんな考え方をするようになったのも親の転勤で北海道で長いコト暮らし、現在は静岡に居を置くという幸運に依るところが大きい。北海道は特異な食文化のように思われがちだが、その歴史を見れば決してそうばかりとは言えない面があることに気づくだろう。
明治以来全国各地の入植者がそれぞれに集落を形成し、故郷の伝承文化を持ち込んでは根付いてゆく。なおかつ辺地にあるというコンプレックスから最先端の流行を貪欲に取り込もうとするエネルギーは他の地を圧倒するものがある。北海道は様々な文化の凝縮と共有が存在する土地なのだ。
ソレにひきかえ対照テキな県民性の代表は静岡。東西流通の通過点という優位性や、徳川家康の直轄都市が中心という優越感が新たなものへの興味を失わせ「みなさんが揃いましたらワタクシも…」といった“何でもブナンな中庸”を好み、先陣を切る冒険は絶対にしないものの、かといってビリはプライドが許さないというボクにとってはマコトにもってイラつく性格が蔓延している。
しかし食に関しては東西の中間点というコトもあり静岡市内では関西風あり関東風ありの混淆状態なので、考えようによってはドチラの美味しい部分もつまみ食いできるというメリットもあるのだな。
そんなワケでボクは偏向した食習慣を持たずに済んだが、逆に“故郷の味”という意識も希薄なようである。
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さて『あなごめし』だ。
料理屋さんの写真などを見るとアナゴは一口大に切ってあるのがオキテのようであるが、なんとなくリッパなアナゴ殿に押されて鰻重ライクなものを目指してしまった。やっぱり食べやすいのは前者ではあるし、伝統にはソレナリの理由というものがあってキッチリと食味に結果は反映されるものなのだ。
まぁだからといってウナ重が食べづらいという苦情などは聞いたコトもないし、関東ではアナゴを長焼のままドンブリに乗せてよこす店だってあるし…そうか「コレがオレ流だぞ!」って言い張ってしまえば済むハナシなのであって、なにもヒクツになる必要はない。だいいちとにかく美味いのだよ。
そう!ワケなどあるものか、美味いからコレでいーのである。